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仁比山地蔵院(にいやまじぞういん)は、佐賀県神埼市神埼町的(いくは)にある天台宗の寺院。本尊は千手観音(千手千眼観世音菩薩)。 == 歴史 == 仁比山は伝承によれば天平元年、聖武天皇の勅願により行基(668年‐749年)が創建したとされる。かつて仁比山には三十六坊があり、それらを総称して仁比山護国寺と称した。地蔵院は仁比山護国寺の塔頭・不動院の子院で、もとは現在の九年庵の位置にあった。奈良時代に仁聞菩薩が訪れたとの伝承もある。 護国寺三十六坊は、不動院、地蔵院の他、成善坊、地蔵院の水上坊、吉祥院、法音院の成道坊や宝林坊、円頓坊などの名が伝えられるが、現存するのは仁比山神社と地蔵院のみである。 仁明天皇の承和11年、唐より帰朝した円仁(慈覚大師、794年‐864年)は、この仁比山で一千座の護摩を修めた。修法のため、円仁は閼伽井(あかい)を掘り、明星水と名付け、その時、土の中から日吉宮と書かれた額を掘り出し、天皇に奏上。仁明天皇の「仁」と比叡山の「比」とを合わせて「仁比山護国寺」の称号を賜ったという。 仁比山護国寺は、明治以前まで仁比山神社の神宮寺であり、不動院は、日吉神社ともよばれたこの神社の別当職も兼ねていた。 戦国時代には、数々の兵火にかかり、永禄12年、大友宗麟(1530年 - 1587年)の兵により焼失。以後、江戸時代になって鍋島藩藩祖直茂、初代藩主勝茂により、地蔵院は不動院とともに再興された。 明治維新後、神仏分離で三十六坊は次々と廃寺になり、地蔵院のみが存続した。実業家・伊丹弥太郎の案により吉祥院の跡地と交換することとなり、地蔵院は吉祥院跡に移り、伊丹弥太郎は現・九年庵の敷地(旧地蔵院跡)に9年かけて別邸を築造した。 現在、護国寺の旧本尊千手観音(千手千眼観世音菩薩)や、不動院の不動明王は地蔵院に安置されている。 地蔵院は九州西国三十三箇所観音霊場の二十番札所であり、人々の信仰を集めている。 仁比山神社の参道入口にはかつての護国寺の名残である仁王門が残り、かつての偉容がしのばれる。仁王門安置の金剛力士像は神埼市の重要文化財に指定されている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「仁比山地蔵院」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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